「桜井白パンダ多元的口述筆記」

歴史編纂してかっこつけるぐらいならブログ止める。と下半身裸で思う寒い部屋。

ブログ記事としてアップしてから削除したことは1度しかない。その1度にしてもアップして即座に消した。だからmixiなどで人がよくやる「過去を振り返って清算しました」的な削除はただの1度もない。


だから過去の記事なんかを読むと恥ずかしくていたたまれなくなるかといえばそうでもなくて、それはそもそもの最初から覚悟の上でアップしてるんだから、それでいい。タイムカプセル、小学校の卒業文集みたいなもので、それは当然のものとしてそこにある。

過去の記事を未来から振り返って削除するなんて、支配者が変わるたびに歴史を編纂するのと同じで卑しい行為だ、とまでは思わないが、自分はすまい、とそもそもの最初から決めた。

なぜしないかといえば「めんどくさい」というのももちろんあるし「削除し始めたらきりがない」つまり「一度消したら常に消し続けるだろう」とも思うし、やっぱり「不都合な過去を削除してええかっこしたって、そんなものは何のごまかしにもならない」と思うからだ。


過去はいくらごまかしたって、自分についてくる。削除したって最終的には自分の大脳のどっかに記憶されている。醜い過去を見ないふりして現状と未来を肯定したってそんなものは「まやかし」だ。俺は人を殺したら懺悔して忘れるんじゃなくて死ぬまで覚え続けて絶対に忘れない。誰かに許されて終わりなんじゃない。神が許したって俺は忘れない。



と、ここまでを書いてそういえば下痢で苦しんでいることに気が付き、パンツを履いてトイレに行くことを想像する。なぜパンツを履いていないかは、それは書くと削除したくなる記事になるので書かない。そういえば下痢は昼に治っていた。今はただ部屋の温度が下がって寒くなってそれから逃れようと体の機構がそっちに既に向かっているから「下痢」というキーワードをとってつけただけなんだろうと思った。部屋寒い。

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桜井白パンダ

Author:桜井白パンダ

天保元年8月4日(1830年9月20日)〜安政6年10月27日(1859年11月21日))。長州藩士にして思想家、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的理論者とされる。

幼時の名字は杉。幼名は杉虎之助または杉大次郎。養子後の名字は吉田、通称は吉田寅次郎。字は義卿、号は松蔭の他、二十一回猛士など。

文政13年(1830年)8月、長州藩の下級武士・杉百合之助の二男として萩の松本村に生まれる。

嘉永7年(1854年)1月、ペリー2度目の来航の際、長州藩足軽・金子重之助とともに密航計画を企てるも失敗、萩の野山獄に幽囚される。

安政2年(1855年)、生家で預かりの身となるが、安政4年(1857年)叔父の玉木文之進が開いていた私塾・松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、維新の指導者となる人材を教え育てる。

安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中・間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄。

安政6年(1859年)、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(29歳没)。獄中にて遺書として門弟達に向けて[[留魂録」を書き残す。



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