だから過去の記事なんかを読むと恥ずかしくていたたまれなくなるかといえばそうでもなくて、それはそもそもの最初から覚悟の上でアップしてるんだから、それでいい。タイムカプセル、小学校の卒業文集みたいなもので、それは当然のものとしてそこにある。
過去の記事を未来から振り返って削除するなんて、支配者が変わるたびに歴史を編纂するのと同じで卑しい行為だ、とまでは思わないが、自分はすまい、とそもそもの最初から決めた。
なぜしないかといえば「めんどくさい」というのももちろんあるし「削除し始めたらきりがない」つまり「一度消したら常に消し続けるだろう」とも思うし、やっぱり「不都合な過去を削除してええかっこしたって、そんなものは何のごまかしにもならない」と思うからだ。
過去はいくらごまかしたって、自分についてくる。削除したって最終的には自分の大脳のどっかに記憶されている。醜い過去を見ないふりして現状と未来を肯定したってそんなものは「まやかし」だ。俺は人を殺したら懺悔して忘れるんじゃなくて死ぬまで覚え続けて絶対に忘れない。誰かに許されて終わりなんじゃない。神が許したって俺は忘れない。
と、ここまでを書いてそういえば下痢で苦しんでいることに気が付き、パンツを履いてトイレに行くことを想像する。なぜパンツを履いていないかは、それは書くと削除したくなる記事になるので書かない。そういえば下痢は昼に治っていた。今はただ部屋の温度が下がって寒くなってそれから逃れようと体の機構がそっちに既に向かっているから「下痢」というキーワードをとってつけただけなんだろうと思った。部屋寒い。
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