「桜井白パンダ多元的口述筆記」

せっかくだからSMの話をしよう

せっかくだからSMの話でもしてみましょう。さっそくですが、

『あなたのSM度チェックぅ!!!』

――――――――――――――――――

思い浮かべてください。


目の前に、牧場があります。

牧場には「馬」と「羊」がいます。

ぜんぶで100頭です。




「馬」と「羊」はどっちが多いですか?

それぞれ何頭ずついますか?

――――――――――――――――――



はい、もうお分かりかもしれませんが。

「馬」の数がS度をあらわし、
「羊」の数がM度をあらわしています。

「馬」100頭、「羊」0頭なら、ドSということ。
「馬」30頭、「羊」70等なら、Mということ。
50:50なら、ノーマルね。


僕の彼女(女王様)いわく「おれって、Sだからさー」という男に真のSはいない、とのこと。

「本当のSは、自分がSだなんてわざわざ宣言しないもの」

あと、姉妹がいたら、姉はM、妹はS、らしい。

ちなみに僕はスカトロとSMにだけは興味がありません。しばったり、しばられたりとか。軽い目隠しぐらいはしたことがありますが。


***

女王様にムチ打たれて喜ぶ人に
社会的に地位の高い人が多い、というのは確からしいです。
ヤ○ザもアナル調教されて喜んでるとか。

でも、きっとバランスを保つためなんだと思う。
有名な説だけど。
心はそんなに単純なつくりじゃないみたいだから。

対外的に高圧にならなければいけない仕事ほど、
どっかで虐げられないと
人格的なバランスがとれないのかもしれない。

ファッションもそうだけど、
外に向かって威圧感を与えている人というのは
中身はけっこう始終びびってたり、小心者だったり、
正反対な心をもっていることが多いんじゃないかな。

だから、

「ボディピアスを開けてる人の99%は、M」

という彼女の説もうなずけたりします。


さて、Sであろうと、Mであろうと、
ステキなセックスライフを堪能できたらいいですね☆



***

(興味のある人は、其れ系の専門誌「SMスナイパー」とか「マニア倶楽部」とかを読んでみてください。ちなみに僕の部屋にも、誰かさんが職場から持ってきたそのような本がたくさん床に散らばっているので、よかったらこっそり差し上げますよ☆)

(ちなみに、アナルフィスト(肛門に手を「手首まで」つっこむこと)を毎日のように仕事でやっている彼女に、ある日、その感想を尋ねてみたら、

「腕がずぶずぶってどこまでも入っていって、相手が力いれたら締めつけられて苦しくて、飲み込まれる恐怖感がすごいある。だから、あれって、どっちが犯して、犯されてんのか、わかんなくなるときあるよね」

だそうです。深遠なる不思議な世界、ですねぇ)

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桜井白パンダ

Author:桜井白パンダ

天保元年8月4日(1830年9月20日)〜安政6年10月27日(1859年11月21日))。長州藩士にして思想家、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的理論者とされる。

幼時の名字は杉。幼名は杉虎之助または杉大次郎。養子後の名字は吉田、通称は吉田寅次郎。字は義卿、号は松蔭の他、二十一回猛士など。

文政13年(1830年)8月、長州藩の下級武士・杉百合之助の二男として萩の松本村に生まれる。

嘉永7年(1854年)1月、ペリー2度目の来航の際、長州藩足軽・金子重之助とともに密航計画を企てるも失敗、萩の野山獄に幽囚される。

安政2年(1855年)、生家で預かりの身となるが、安政4年(1857年)叔父の玉木文之進が開いていた私塾・松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、維新の指導者となる人材を教え育てる。

安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中・間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄。

安政6年(1859年)、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(29歳没)。獄中にて遺書として門弟達に向けて[[留魂録」を書き残す。



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