第05回「 n i b b Å n a 」

CoM0 TrB0
2008/02/02/14:22

――永田町「国会図書館」新館3階・特別蔵書室――

「『例のもの』がここにあるのか?」「ああ、たぶん。『タレこみのメール』では、そうだ。『奴』がインド帰国後に、しこしこと別サイトで書き続けていた日記の、残骸」「この雪の中ここまで来るとは、おまえもよっぽど物好きか、パンダ好きか……それかあの『インド墜落事故』の本当の原因が知りたいんだろうな」「……。当時のサイト名が、『nibbÅna』だから、たぶんこのあたりに……あ、あった。これだ」「作者名……clear_colorless_panda……?」「桜井パンダじゃないのか……?!」


 I N D I Å   2008.02.03

第04回「ガートで死体が焼かれるのを見たその夜」

CoM0 TrB0



 ガンガーの岸辺、茶色い泥にまみれた階段にいる。時刻は夜、なのに明るいということは、日が沈んでしばらくたった頃か、朝日が昇る前か、或いは星がたくさん出ているからか。階段から上方を見上げると、かなりの高さまで段がつづいている。前回インドに来たときよりもガンガーの水位が下がっているらしい。だから自分は下方の階段、ほとんど広場のような場所に立っているのだ。

 左手の奥に最大のガート―――ダサーシュワメガート―――が見える。人の気配が感じられない。こちから見えないだけだろうか。ただ乾燥した泥や粗い砂に覆われた階段がつづいている。Sに出会った辺りにも誰もいない。風景はガンガーと同じて黄土色に濁っている。空だけが灰色に暗い。

 水位が下がったおかげで、自分のいる場所からガート沿いに歩くことができそうだ。前回はガートとガートの間に泥水の断絶があったために、一旦階段を最上段まで上り、狭く迷路のような通りを抜けないと隣に移動することができなかった。でも今回は、自分の足で、岸辺伝いにどこまでも行けると思うと嬉しかった。

 ふと気がつくと、右手奥にあるはずの炎を探していた。昼夜問わず死者を火葬しているあの場所。今立っているところからそう遠くはない距離にあるはずだが、と思い、その辺りに見当をつけて注視する。しばらくすると、うっすらと小さな火の灯るのが目に映った。



 ここで夢の記憶は途絶える。目を覚まして1時間以上たった今、なぜあんな夢を見たのだろうかと考える。インドから帰ってきて一度も夢なんか見たことはなかったのに、昨夜に限ってどうして―――と思い、気がつく。三島由紀夫の『暁の寺』を読み始めたからだ。

『暁の寺』はまだ読み始めて4分の1。主人公がバンコクからインドのカルカッタ、そしてベナレス(現バラナシ)へ入った辺り。

 三島さんの文章は、細部に霊魂や哲学や精神が宿っていて難しい。(はいかっこつけた、「霊魂」や「哲学」や「精神」の意味もわからず雰囲気だけで使っております)

 思いきり引いた目線で、神様のような高みから、乱れることなく事物の詳細を描写し、背筋を伸ばして進んでいく印象。「静謐(せいひつ)」という言葉が真っ先に浮かんだ。この静謐という何語かわからないような難しい言葉が当てはまると思ったのは、三島さんの文章が初めてです。匠の技、伝統工芸品みたいだ。

 もちろん僕はこの「静謐」を辞書で調べないと意味がわからなかったので、調べてみると「静かで落ち着いているさま」となっていました。なるほど。早朝の山奥にある神社のような文章、です。正座して読みたくなります。

(ほんっと、読破もしてないのに偉そうに語ってごめんなさい(でも偉そうにしないと意見なんていえないよね)。



 三島由紀夫は『暁の寺』を含む『豊饒の海』全4巻を書き上げた直後、例の割腹自殺を行う。それについての詳細がずっと気になっていたので、橋本治の『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』も購入。三島由紀夫の本は(というか恐らくすべての書物は)きちんと正座して読むべきなんだと改めて思う(「べき」は己に対して)。

 ガートでの火葬場の話はいつかちゃんと書きたいと思っていて、ひと月以上、書かないでいた。心残りはあった。そして今日、夢のおかげで思い出したのは、帰国直後、記憶が鮮明なうちにつづった覚え書きの存在。今回はそれを最後に載せて、次はちゃんと火葬場の話を書こう。



*** 



 ガートで死体が焼かれるのを見たその夜、僕は激しい下痢になった。今まで生きててこんなに激しい下痢になったのは初めてだった。脱水症状をふせぐため水を飲む、でもそのわずか30秒後、すべてが流れ出てしまう。体がどんどん衰弱していく。布団に入る、でも1時間もしないうちに、またトイレにかけこむ。座った瞬間、音をたててすべてが流れ落ちる。心臓の鼓動が速い。今日一日に食べたものはすべて出たはずなのに、容赦なく何かが流れつづけていた。体がだるく重い。持参した体温計ではかってみると、38.4度あった。



***



 読み返すと「けっきょく赤痢話じゃん?」になるけど「いやいや、その赤痢になった理由が、火葬を見たからだと僕は思うんだよね」という精神世界の話に繋がりそうなところで今回は止めておきます。また次回。
 I N D I Å   2007.09.11

第03回「テロとインドとあくびのチャーイ」

CoM0 TrB0
●『IT都市で爆弾テロ、43人死亡=遊園施設などで2件−インド南部』8月26日1時2分配信<時事通信>

「へえ、インドで爆弾テロかぁ。インドって、遠い国だしあんまり関係ないなぁ……あ? そいうえばオレ先月行ってた」

 インドから帰国してそろそろ1ヶ月になる。赤痢はお盆に回復し、食欲も普通、体重は横ばいだがいずれ戻るだろう。帰国直後はあんなに興奮していたインドの思い出も、驚くほど忘れ始めている。でも確かに僕はインドにいた。あの、通りを歩くだけで緊張し、吐き気をもよおすインドに。



***

 今回のテロの理由はわからないけれど、インドでは年に数回、必ず爆弾テロがある。

 テロ警戒のためだろう、商業施設に入るときは「必ず」金属探知機をくぐり抜ける必要があった。ナイキショップのような外資の高級店だけではなくて、場末の小さな映画館でさえも、その入り口に空港で見かけるような(しかし木造の)金属探知機が設置されていた。

 地下鉄に乗るときはさらに厳しく、金属探知機→ボディチェック→かばんの中身拝見、と空港なみだ。チェック担当者は地下鉄職員ではなくて、軍服を着たれっきとした軍人(ライフル所持)だ。肩から下げてるそのライフルがたまに僕らの方に向くことがあって、(暴発しませんように)と最初のうちはビクビクしていた。(間違って引き金に指ひっかけませんように)と。

 ちなみに、インドに慣れるにしたがって僕の風貌が怪しくなったせいか、インド最終日、かばんの中身をチェックしてOKもらい、さあ改札くぐろうとした瞬間、「おまえ!もう一回チェックさせろ!こっちこい!」と二度検査。「さっきOKもらったよ?」なんて口答えしようもんなら僕はきっとガンジス河に流されバタフライもままならないうちに沈殿し、淡水イルカの餌になっていたはずである。

 そんな(どんな?)ガンジス河の流れるヒンズー教最大の聖地、バラナシで出会った少年は言った。

「爆弾テロ、決まってお祭りの日に起こる。人がたくさん集まるから、一石二鳥なんだ」

 それ日本だったらお祭り中止だね、すぐに。
 怖くないの?
 
「おれたちは怖くない。このまえもホーリー(インド最大のお祭り)のとき爆弾テロあって、100人ぐらい死んだけど、おれたちはぜんぜん怖くないんだ」



 彼は唇を噛み、右手をギュッと固く握りしめた。彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいた……というのはウソで、実際の彼は寝そべりながら「チャーイ(インド式ミルクティ)」を飲みながら「あくび」まじりで話してくれた。でも爆弾テロの話が「今朝の雷すごかったね」レベルで話されることの方が、重い。





***


 以下、良い子のためのインド現代史講座♪
 

「インドと隣国パキスタンは現在も『戦争中』です」

「インドはヒンズー教徒の国。パキスタンはイスラム教徒の国。インドとパキスタンはもともとは同じ国だったのですが、第二次世界大戦後、分離独立。宗教の違いで二つの国にわかれました」

「さて、両国の国境付近(カシミール地方)に『地主がヒンズー』『民はイスラム』というややこしい地区がありました。分離独立の際、地主はインドにくっつきたいと言い、民はパキスタンだと言いはりました。で、戦闘開始。これがインド・パキスタン戦争の始まりです」


 というわけで、インドで頻発しているテロはイスラム関係者らしいのですが、うーむ困りましたね、何か良い解決案がありましたら安倍しんぞうさん電話してみてくださいね。彼まだインドにいるのかしら?
 I N D I Å   2007.08.26

第02回「まりわな〜はしし〜しゃぶ〜〜♪」

CoM0 TrB0

 少しも誇張ではなくインドの路地裏を歩けば5m毎に声をかけられる。「にっぽんじん、こんにちわ、まりわな」

 彼らにとって『日本人=こんにちは=マリファナ』らしい。しかも売人はしつこい。こっちが無視してもついてくる。ずっと、どこまでも。「やすい、まりわな」ノー。「がんじゃ、にひゃくごじゅ、るぴー」うざい。本当にうざい。一人まいた、と思ったらまた横から「まりわな〜」だ。周りに人がどれだけいようと彼らはノープロブレン。

 さっき路地裏といったけれど、繁華街、メインバザールを歩いていてもまったく同じだ。あまりにも頻繁に、しかもひたすらついてくるので、あるとき僕はたまりかねて「おれは日本の警察官なんだよね」と答えた。すると「おお? ポリス・・・」といいながら静かに消えてくシャブ売人。(これはつかえる!)と喜んだ僕は、しつこい奴には「ジャパニーズ・ポリス」と答えてお引取り願うことにした。この台詞、実によく効いた。



 が、やっぱりインドは一枚上手だった。

 バラナシの野菜市場のどまんなかで、巨体のインド人が「おお、兄弟!」と両手を広げ満面の笑みで近寄ってきた。今にも肩を抱かんばかりに。きたきた、と内心思う。で、いつものあの歌だ。

「まりわな〜はしし〜しゃぶ〜〜♪」

 ものすごい音程外して、しかもあほみたいに大声で歌うから、思わず笑ってしまった。真昼間からそんな歌うたって、あんた、近所の人になんかいわれないの? 「も〜んだ〜いな〜い♪ しゃぶ、やすい〜〜♪」また笑う。そしてぴったりと横付けにされて10mぐらい付いてきたので、しょうがなく僕は例によって「あの台詞」を発した。「悪いけど、おれ、日本のポリスなんだよね」
 
 いっしゅんひるんだなてめー、と思ったのは僕の希望的観測で、巨体は「わっははは」と大声で笑い、そして嬉しそうに歌った。音程狂ったあの大声で。


「にっぽんポリス、しゃぶ、すき〜♪ 

 にっぽんポリス、しゃぶ、よく、かう〜〜♪」


 僕は一人大爆笑で、思わずガンジャをひとつ購入した。





***

 という最後の一文だけはもちろんウソで、僕は身体の関係上タバコも吸わないから当然「おくすり」もやらない。ホテルにいた日本人は「ガンジャのねーインドはインドじゃねーよ」ばりに嗜んでいたが、身体の関係以前に「おくすり」にはまったく興味のない僕は、「おだいじに」といってベッドにもぐってぐっすりと眠った。と思ったら翌朝また下痢。赤痢菌。
 I N D I Å   2007.08.10

第01回「 I N D I Å から、ただいま戻りました」

CoM0 TrB1
 インドで「赤痢」になり生死の境をさまよった末、お尻に注射を5本打ち、血圧測定後いつも明るいインド人医師にまで真剣な顔で「きみの状態は『シリアス』だよ・・・」とささやかれ、1泊300円のホテルで一人さみしく途方にくれてた白パンダです。でも無事復活、なんとか緊急帰国した白パンダです。30歳です。インドで立派に誕生日を迎えました。

 でもなんなんでしょう「赤痢」て。高熱のあと、この世のすべてを押し流すような草木一本残すまい下痢。洪水下痢。ノア下痢。日本から持参した国民薬「正露丸」すらも30秒後に肛門から押しだしてしまう下痢って、いったい・・・。

 持病よりも「赤痢」で死にかけるとは思いもしない、というか持病があったから「赤痢」になったのか、いずれにせよあのバラナシのホテルで1週間寝込みました。正直、3回泣きました。屋上からガンガー眺めて「河の向こうが東・・・日本はあっちか・・・」とか暗すぎ。(てか屋上に「野猿」おおすぎ。1対10で囲まれちっとも「しんみり」できんかったわ)


 おかげさまで体重が5キロ減り、昨年の病気後よりも、食中毒で1週間食べれなかった19歳の頃よりも痩せてます。今まで見たこともない「骨」が体から突起してますが気のせいでしょうか。寝返りうつたびゴリゴロ当たって痛いです「骨」。


(ちなみに「赤痢」という病名は自己診断で、インド人医師はしきりに「ヴァクテリア!ヴァクテリア!」と絶叫したあと「ケツだせ、ケツ」「え?」「ケツだよ。パンツめくって!」とブスッと右臀部上方に注射。尻注射、まさかインドで初体験とは。「便の培養検査、2週間かかるから、その頃あんたインドいないでしょ? だから検査しねーよ」的な台詞後、原色どぎつい粘土の塊みたいな薬を3種。オレンジ緑黄。「これだけ飲めば、明日には、君も『パーフェクト』だ!」という医師の予言どおり僕は1週間洪水に苦しみ、医師もあたふた毎日往診、そして「骨」と「皮」だけになりました♪)





***

 実は帰国後も下痢が止まらず、ついさっきまで寝たきりでした。さて、異国の地で生死をさまよった人間がたいていそうであるように、僕も人(パンダ?)がかわってしまった。どうかわったのかを、この「 I N D I Å 」カテゴリーとして「白ぱんだ・インド旅情記」とともにシリーズ24回にわたっておおくりしたい。ええ、つまりは飽きるまで。覚えてるうちに。暑さ寒さとインドの記憶も彼岸過ぎまで。
 I N D I Å   2007.08.08

プロローグ「じいさんの死亡とインド大使館移転問題」

CoM0 TrB0
「とうとう、じいさんが、死んだ。享年6歳。その大往生に、みなが、涙した……」


というわけで、最近の更新の滞り様は「じいさん」がぶっこわれてしまったからです。いや、じいさん、まだ起動はするんだけど、キーボードがね、肝心のキーのなかでもっとも重要な「Enter」キーがね、よりによって「Enter」キーだけが反応しなくなってしまったんですよ。

「確定」しなきゃいいだけだから「英文」は打てんだけど、それこそ「きちがい」みたいな文章になってしまうので、僕はこうしてまんきつで打ってます。ドリンクはりんご100%です。



さて更新してないあいだに、いろいろありました。

まず、インド大使館が移転されてました。


インド大使館。九段下の武道館のそばにある風情漂う石造りの建物、だったはずなのに、人影はなく寂しく雑草が生い茂っていて、近所のインド料理屋も暇そうに路上の猫と戯れていた。なぜ? 答えは門扉の張り紙にあった。


『インド大使館は移転しました。移転先は麹町5-7-2 麹町31MTビル』


っておいおい。ビザ発行のためにわざわざ来たのに、しかも午前11時までに入館厳守!っていうから走ってきたのに(現在10時35分)、ここ(九段下)からそのわけわかんない場所(麹町〜)まで残り25分でどうしろってんだ?「タクシー!」ってわかんねーだろーなインド大使館といえば誰もがここを思うだろうし、番地言ったって

「お客さん、そんな細かい地名言われても、あたし困るんですわ〜」
「その、そこにあるそれ、カーナビでしょ?」
「いや〜これね、会社が勝手に付けたもんで、あたしね、操作できないんですわ〜」

だし、この辺一通だらけで歩いたほうが結局は早いかもしれないし、第一、タクシー代がもったいない!(←結局これが言いたかった)


で、パンダはどうしたか?


ああ、走ったさ。また走ったのさ、炎天下(気温32℃)の麹町を、路上の地図を確認しつつ、途中でコンビニ寄ってアイスなんか買って「んな暇あったら走れや♪」って独りさみしくつっこみ入れつつ走ったさ。

で案の定、3分で歩行開始。「おくれてもいーや。つーか勝手に移転してるインド大使館が悪いんだし」ということで、てくてく歩いて、麹町見物(現在10時48分)。

あの辺、地図には描かれてないけど高低差がわりと酷くて坂道だらけで、それも僕のテンションに火をつけてくれました。焚き付けられました。で、歩行、と。


麹町。旧○テレがあったのでADの頃に2、3回来たことがあって、初めての土地じゃないんだけど、それはそれ、これはこれで、もう10年近くまえの話しだし○テレも海岸沿いに移転しちゃってるし、まったく記憶から忘却の彼方。地図みたら上智大学の下(ドラクエでいうところの下、南というわけですね)に大使館があるらしいんだけど、どれ?どれ?どれ〜?


あれっ!!?(現在10時58分)


茶色とか緑の三色旗。インドの国旗。奇跡が起こった。完全に諦めていたにも関わらず、シバの神様は僕を見捨ててはいなかった。僕は走った。急いで中へ。しかし、そこはただのエレベーターホールだった。インド人がいない。カウンターもない。「VISA申請⇒」の看板もない。焦るパンダ(現在10時58分35秒)。これは何かのトラップか?ドッキリか? 奥の扉を開ける。しかし、そこは駐車場。(!?)

そこへ、日本のサラリーマンが!(現在10時59分10秒)おお、神よ!シヴァよ!世界中のどこにでもいるっつーのは本当なのねジャパニーズビジネスマンよっ!

「あの、すみません、インド大使館って、どこですか?」(←なみだ目パンダ)

「ここ、ですけど?」(←japanese Businessman)

「あの、その、ビザを、ビザをですね」

「ああ、ビザね。でしたら、いったん外に出て、隣のドア、ですね。入り口が小さいので、確かにまぎらわしいですねぇ。あ、でも、もう時間が」






11時00分02秒






■インド大使館・移転先♪
東京都千代田区麹町5-7-2 麹町31MTビル 電話番号 : 03-3262-2391(土曜の午後、日曜は休館)

■ビザ申請は平日午前11時まで♪
1秒でも遅れたら玄関は施錠されてしまうので要・注意♪


***

で、僕はインドに行きます。明後日、成田発、エアインディア307便。デリー直行便。どなたか同乗される方がいらっしゃいましたら、パンダなのに真っ白なのが僕です。真っ白できょどって立ったり座ったりを繰り返して、「ドリンクおかわりって出来ます?」とか「ティッキン!」て妙に張り切っんのが白パンダです。仲良くしてね♪
 I N D I Å   2007.07.06

Profile

桜井白パンダ

Author:桜井白パンダ
「     」

Recent entries

Categories

Archives

Link