駅前でたびたび見かけた彼女は18歳で、
僕が声をかけるたびに、人を安心させる笑顔で
「いまのお店、やめたらね」
と明るく返してくれた。
暑さが消えない夏の夕方。
いつものように、駅前の人ごみで女の子に声をかけていると
「さくらいさん」
と名前を呼ばれた。
目の前で、浴衣姿の彼女が手をふっている。
これから花火大会に行くの、と嬉しそうに笑った。
明るい色彩の浴衣が、涼しそうだった。
「お店、やめてくれた?」
僕が笑ってたずねると、
「まだ。でも、9月から、さくらいさんのお店にいこうかな」
といって微笑んだ。
居酒屋でお酒を飲みながら、彼女の話を聞いた。
高校をやめたとか、
複雑な家庭環境とか、
家計のためにキャバで働いているとか、
てっとりばやく売春しようかなとか、
そういうようなことを2時間ぐらい話していた。
僕はただ、うなずき、お酒を飲みながら、時々彼女の顔を見た。
そこにいつもの笑顔はなくて、素面の彼女がいた。
帰り際、
「いつから来れるかな?」と尋ねると、
「怖いお姉さんとか、いない?」
「いないよ」
「ほんとう?」
「うん」
といって、笑って別れた。
秋の終りの週末。
ひっきりなしにお客さんが入店し、ウエイトが重なり、
チェックや、オーダーが飛び交い、
インカムが混線するほど誰かが叫んでいる。
営業が始まって2時間ほど経ったころ、
僕は彼女に腕を引っ張られて、柱の陰に呼ばれた。
「なに?」
「さくらいさん、あの、今日、早退してもいい?」
「え、どうして? 今日、金曜だし、
女の子たりてないし、ちょっと厳しいんだよね」
『オーダーッ!』と店長の怒声。
反射的に、ただいまっ、と叫ぶ。
僕は小声で彼女に聞いた。
「体調、わるいの?」
「うん」
「風邪? 熱あるの?」
「これ……」
といって、彼女は左腕を見せた。
白い腕の内側。
赤い筋が、無数に、絶え間なく刻まれていた。
瞬間、目を背ける。
生理的な何かが、喉にこみあげてきた。
「それ……どうしたの?」
「きのう、発作的に、切っちゃったの」
***
01年、春。
少し読んだだけで、
誰にも真似できないと思わせる
稀有な文才をもつサイトに出会った。
写真の中の彼女は、写りが良いからなのかわからないけれど、
TVに出ているアイドルみたいで、
でもそこに書かれている彼女の言葉は、
溢れでる才気を抑えることができずに外へ外へと拡散していて、
でも、繊細で、緻密で、消えてなくなってしまいそうで、
気がつくと僕は毎日のように訪れていた。
こんな文章を、文体を、それまでに見たことはなかった。
真夏だった。
エアコンのきいた涼しい部屋の中で、
PCを起動し、いつものように彼女のサイトを開いた。
いつもの日記のカテゴリー。
大きな画像が2枚、載っていた。
彼女の腕の写真だった。
それは、子供が鉛筆でノートに線を引くみたいに
何のためらいもなく付けられた赤い無数の傷が、
血が付着し、ひどく腫れ、
何列にも何列にも隙間なく
肘の付け根までつづいていた。
一生痕が残るくらいに深い傷だと
写真を見ただけでわかった。
何がなんだか分からずに、
僕は彼女の文章を目で追った。
それは、推敲も、制御もされていない、
悲鳴だった。
想像もできないような事実がそこには並んでいて、
月並みな、慰めや、励ましや、受容なんて、全く無意味だと、
そして彼女はもしかしたら助からないのかもしれないと、
でも助かってほしいと、
そう思いながら、
僕はただそれを眺めることしかできなかった。
それから1年後、
彼女は自ら命を絶った。
***
キャバクラの仕事を辞めた僕は、
しばらくフラフラしたあと、昼間の会社に就職した。
いつも終電近くまで仕事があって、
その土曜日も、深い眠りから覚めると
太陽は既に見えない高さまで昇っていた。
遅めの昼食を食べようと、近所のファミレスに向かう。
どこにでもある系列店。
いつものように、家族連れで賑わっている。
食事を終えて、入り口のあたりをぼんやりと見ていた。
光で明るすぎる外の景色。
すべての建物が白で覆われている。
色彩のない世界。
光を反射させながら、入り口のドアが開く。
見ると、男の人と、若い女の子が立っていた。
人目をひく容姿。
見た人を、幸せにする笑顔。
綺麗な子だな、と思ったら、
それは店を辞めてから半年ぶりに会う
彼女だった。
同伴にしては早すぎる時間だったので、
きっと相手は彼氏なんだろうと思った。
楽しそうな雰囲気からも、そう感じた。
しばらくして、彼女が僕を見た。
僕は、軽く会釈する。
彼女も、少しだけ照れたように笑って、うなずき、
また男の人を見て、微笑みながら会話をつづけた。
僕は会計を済ませて店を出た。
ファミレスの階段を、ゆっくりと下りていく。
午後の太陽が地面を照らし、空気が熱くゆらいでいた。
もうすぐ夏になるな、と僕は空を見て思った。
キャバ嬢ミーナさん
2007.05.27僕が声をかけるたびに、人を安心させる笑顔で
「いまのお店、やめたらね」
と明るく返してくれた。
暑さが消えない夏の夕方。
いつものように、駅前の人ごみで女の子に声をかけていると
「さくらいさん」
と名前を呼ばれた。
目の前で、浴衣姿の彼女が手をふっている。
これから花火大会に行くの、と嬉しそうに笑った。
明るい色彩の浴衣が、涼しそうだった。
「お店、やめてくれた?」
僕が笑ってたずねると、
「まだ。でも、9月から、さくらいさんのお店にいこうかな」
といって微笑んだ。
居酒屋でお酒を飲みながら、彼女の話を聞いた。
高校をやめたとか、
複雑な家庭環境とか、
家計のためにキャバで働いているとか、
てっとりばやく売春しようかなとか、
そういうようなことを2時間ぐらい話していた。
僕はただ、うなずき、お酒を飲みながら、時々彼女の顔を見た。
そこにいつもの笑顔はなくて、素面の彼女がいた。
帰り際、
「いつから来れるかな?」と尋ねると、
「怖いお姉さんとか、いない?」
「いないよ」
「ほんとう?」
「うん」
といって、笑って別れた。
秋の終りの週末。
ひっきりなしにお客さんが入店し、ウエイトが重なり、
チェックや、オーダーが飛び交い、
インカムが混線するほど誰かが叫んでいる。
営業が始まって2時間ほど経ったころ、
僕は彼女に腕を引っ張られて、柱の陰に呼ばれた。
「なに?」
「さくらいさん、あの、今日、早退してもいい?」
「え、どうして? 今日、金曜だし、
女の子たりてないし、ちょっと厳しいんだよね」
『オーダーッ!』と店長の怒声。
反射的に、ただいまっ、と叫ぶ。
僕は小声で彼女に聞いた。
「体調、わるいの?」
「うん」
「風邪? 熱あるの?」
「これ……」
といって、彼女は左腕を見せた。
白い腕の内側。
赤い筋が、無数に、絶え間なく刻まれていた。
瞬間、目を背ける。
生理的な何かが、喉にこみあげてきた。
「それ……どうしたの?」
「きのう、発作的に、切っちゃったの」
***
01年、春。
少し読んだだけで、
誰にも真似できないと思わせる
稀有な文才をもつサイトに出会った。
写真の中の彼女は、写りが良いからなのかわからないけれど、
TVに出ているアイドルみたいで、
でもそこに書かれている彼女の言葉は、
溢れでる才気を抑えることができずに外へ外へと拡散していて、
でも、繊細で、緻密で、消えてなくなってしまいそうで、
気がつくと僕は毎日のように訪れていた。
こんな文章を、文体を、それまでに見たことはなかった。
真夏だった。
エアコンのきいた涼しい部屋の中で、
PCを起動し、いつものように彼女のサイトを開いた。
いつもの日記のカテゴリー。
大きな画像が2枚、載っていた。
彼女の腕の写真だった。
それは、子供が鉛筆でノートに線を引くみたいに
何のためらいもなく付けられた赤い無数の傷が、
血が付着し、ひどく腫れ、
何列にも何列にも隙間なく
肘の付け根までつづいていた。
一生痕が残るくらいに深い傷だと
写真を見ただけでわかった。
何がなんだか分からずに、
僕は彼女の文章を目で追った。
それは、推敲も、制御もされていない、
悲鳴だった。
想像もできないような事実がそこには並んでいて、
月並みな、慰めや、励ましや、受容なんて、全く無意味だと、
そして彼女はもしかしたら助からないのかもしれないと、
でも助かってほしいと、
そう思いながら、
僕はただそれを眺めることしかできなかった。
それから1年後、
彼女は自ら命を絶った。
***
キャバクラの仕事を辞めた僕は、
しばらくフラフラしたあと、昼間の会社に就職した。
いつも終電近くまで仕事があって、
その土曜日も、深い眠りから覚めると
太陽は既に見えない高さまで昇っていた。
遅めの昼食を食べようと、近所のファミレスに向かう。
どこにでもある系列店。
いつものように、家族連れで賑わっている。
食事を終えて、入り口のあたりをぼんやりと見ていた。
光で明るすぎる外の景色。
すべての建物が白で覆われている。
色彩のない世界。
光を反射させながら、入り口のドアが開く。
見ると、男の人と、若い女の子が立っていた。
人目をひく容姿。
見た人を、幸せにする笑顔。
綺麗な子だな、と思ったら、
それは店を辞めてから半年ぶりに会う
彼女だった。
同伴にしては早すぎる時間だったので、
きっと相手は彼氏なんだろうと思った。
楽しそうな雰囲気からも、そう感じた。
しばらくして、彼女が僕を見た。
僕は、軽く会釈する。
彼女も、少しだけ照れたように笑って、うなずき、
また男の人を見て、微笑みながら会話をつづけた。
僕は会計を済ませて店を出た。
ファミレスの階段を、ゆっくりと下りていく。
午後の太陽が地面を照らし、空気が熱くゆらいでいた。
もうすぐ夏になるな、と僕は空を見て思った。