「あふれでることば」  かなしさを、かくすには、4

CoM0 TrB0
「この歳になって、初めてパパが戦った場所に、行ってみたんだよ。ずっと行きたくてね。そこはものすごい山奥だった。道も舗装されていなかった。朝から車をとばして、昼過ぎまでかかった。爆撃の跡がまだあちこちに残っていてね。その基地のあった場所は、ただの畑になっていた。もしかしたら間違えたのかもしれない。でも、ツーリストが言ったんだ「ここが、ディエンビエンフーです。仏蘭西軍の、最後の砦でした」ってね。そこは広々とした畑だった。直射日光がすごくてね。見たこともない巨大なハエが、ブンブンと何匹も飛んでいた。風が吹くたびに、牛の糞のようなにおいが鼻の奥にこびりつくんだよ。畑には、背の低い老人が一人いた。彼は地面の上に座って、小さなスコップみたいなもので、土を掘り起こしていた。黙々と一生懸命で。我々に気がついていないみたいだった。なにをしているんですか? とわたしは聞いた。わたしには農業の経験が無いからね。老人は下を向いたまま答えた「娘を探しています」と。もしかしたら誤訳かもしれない。通訳がいまいちだったからね。でもわたしは言った「娘さんは見つかりそうですか」と。「ずっと掘っている」と老人が言う。「わたしは40年近く、夏休みと冬休み以外は、ここで土を掘っている。20年前、やっと娘の胴体がみつかった。わたしは泣いた。1年前、やっと娘の下半身がみつかった。わたしは泣いた。そして今、ああ、娘の、頭が、ああ、やっと、みつかったよ」それはジャガイモだった。老人は土の中からジャガイモを掘りだしていた。ジャガイモを愛しそうに撫でながら泣いていた。声を押し殺して。わたしは思わず「おじいさん、それはジャガイモですよ」と言ってしまった。でも通訳は首をふった。それは訳せない、と」

「この話は以上だ。べつに教訓のようなものは何も無い。わたしはただそのエピソードが印象深かったから、きみに話したかっただけだ。以上だ。人というのは、特異な体験からなにか教訓めいたものをすぐに引き出そうとするが、そんなとってつけたような要約から、何が得られる? 「人生とは悲しいものだ」ふざけるな、とわたしは言いたい。「結局、死ぬために、生きているのだ」、「泣きながら生まれてきて、泣きながら死ぬのだ」、ふざけるな。そんな短い言葉で人生をまとめて、悟ったような気になって、いったい何になる? 本当の死のふちで人は何と言って死ぬか、分かるか? わたしのパパは真夏にエアコンもない熱湯みたいな部屋で、「ジフロ」と言って死んだんだ。「ジフロ」だ。教訓もなにもあったもんじゃない。それまでぴくりとも動かなかった肉の塊の、最後の言葉が「ジフロ」だ。ジフロ、ジフロ、ジフロ。くそ暑い部屋で、白いシャツと白いパンツ一枚で、パパは凍えながら死んでいったんだ。くそったれ。この話は以上だ。わたしもいま猛烈に「ジフロ」だ。バカみたいな話じゃないか。死ぬ間際にパパと同じ言葉を繰り返して死んでいくなんて」

「すまん。ジフロなのに熱くなった。というか、ジフロであればこそ熱くなってみた、と言い換えるべきか」「……」



ぼくはふるえながら、ただ黙って目の前にある黒いネットのあたりを見ていた。吐く息が白くなりはじめている。エアコンが故障したのかもしれない。フランス人はため息を一つついて、窓の外に目をやった。「……おそらく、この飛行機は、北に向かっているね。かすかに、雲の切れ間に、朝鮮半島のようなものが、見える。……ああ、窓の外を見てみなさい」ぼくは体をひねって外を見た。戦闘機がいた。「JSDFだ」とフランス人が言った。「日本にしては、めずらしく動きが早いね。コマツから来たのかな?」太陽のマークを持つ2機の戦闘機が、ぴったりと隣につけていた。助けに来てくれたのかな? 「この飛行機を、ミサイルで打ち落とすつもりかもね」えっ? と、ぼくは低い声で驚いた。フランス人は外を見たまま、淡々と話をつづける。「このまま、この飛行機が北に向かったら、どうなると思う?」ぼくは首を横にふる。「わたしが北の首領ならこう言うね、『対象機の領空侵犯は、北に対するテロ行為である可能性が否定できないため、やむを得ず、撃墜する』と。あるいは、わざと都市に墜落させて、テロ行為であると凶弾し局地的に報復を行う、とか」。「まあ、どっちにしても、いま思いついた話で、可能性は低いだろうけどね。おそらくなにか、身代金目的か、亡命要求か、超法規的措置による誰かの釈放要求だろうとは思う。でも」

フランス人は窓の外を見たまま動かない。「でも、敵対関係にある飛行機が、自分の領空に突っ込んできたら、サクライくんならどうする? その飛行機は、もしかしたら核兵器をつんでいるかもしれない。全面戦争の前の「おとり」かもしれない。東京から絶対臨界高度を一直線に飛んでくるなんて、まるで、何か、ミサイルみたいじゃないかね? 相手に打ち落とされても文句は言えないし、場合によっては、日本政府の手で、問題になる前に葬られてしまうかもしれないね……」



***



雪はやまなかった。世界は小さなビンの底に沈んだみたいに、静かだった。見慣れていた平野は白におおわれ、風もなく、木々やその葉はひっそりとたたずんでいた。綿毛のような雪だけが、音もなく降りつづけていた。

友達が、桜井、戻ろう、とぼくを呼ぶ。ああ、とだけ返事をしたが動かなかった。唇や鼻に雪がふれ、しばらくとどまったあと、ながれた。

言葉の中、とぼくが言ったとき、坂下は笑った。「そんなわけ、ないじゃない」と。ぼくも恥ずかしくて一緒になって笑った。笑った後、ぼくは坂下を抱いた。彼女は目を閉じて、かすかに声をだした。それはとても小さくて、切なくて、なにかをたしかめながら泣いているみたいだった。

かなしさを、かくすには、

その答えがなんだったのかは、ぼくは最後まで知ることはなかった。坂下は、誕生日の前日に、世界から消えた。まだ19歳だった。みんなが坂下を覗きこんでいる姿を見て、ぼくは吐き気をおぼえた。



***



飛行機は徐々に高度を落としていく。朝鮮半島がはっきりと左手に見える。おそらくここはもう韓国の領内だろう。飛行機は、減速する気配すらみせない。韓国に着陸するのであれば、そろそろ左手に弧を描かないと、間に合わないんじゃないだろうか? 備え付けの機内誌を見る。後ろのページに世界地図が載っている。だいたい朝鮮半島の真ん中が、38度線だ。北との境界。自衛隊の戦闘機も、いつのまにか見えなくなっていた。このままだと、北の領空に入るのは、もうほとんど避けられそうにない感じがした。

「覚悟を決めようかね、サクライくん」とフランス人が言った。表情は冷静だった。本当に覚悟を決めたのだろうか。それとも「それともどうする? コックピットの方に行って、テロリストと戦うか? まぁこれはハリウッド映画じゃないからね、ものの数秒で殺られてしまうだろうがね。でも、なんとか北に入る前に「かた」をつけたいねえ」

飛行機のエンジン音が強くなった気がした。外を見る。半島の集落がはっきりと確認できる距離にまで近づいている。飛行機は一つの意志をもった塊のように、迷わず一直線に北上していく―――と、そのとき。フランス人がぼくの方へ向きなおり、真剣なまなざしで言った。

「こうなったら最後の手段だ、サクライくん」

「どうするんですか?」
「パンダに、変身するんだよ」










第06話「かなしさを、かくすには、」  2007.02.27

「星の片隅で、ぐるぐるとたまねぎになって」 (かなしさを、かくすには、(3))

CoM0 TrB0
「そういえば」とぼく。「名前をまだうかがっていませんでしたよね?」

「名前か。名前になんて意味はないんだよサクライくん。呼びたかったら「ボーイング777」とでも呼べばいい。「椅子」でもいいし「ジェット燃料」でもいいし「シートベルトをお締め下さい」でもいい。「早割」でもいい。最近の流行は「先得」か? まあなんだっていい。「なんだっていい」でもいい」

いきなりなんだぁ、この人は? 

「そんなことよりもサクライくん、わたしの最近の悩みを、聞いてくれるかね? もう、わたしたちは最後かもしれないが、まあ、悩みを話すぐらいのことは、最後に、してもいいんじゃないかね」
「聞きますよ」
「『オーシャンズ130000000』についてなんだがね」はい?「一通り最後まで独白させてもらってもいいかね?」
ぼくは、どうぞ、と言うしかなかった。

「奴らがベガスに帰ってくる!犯罪計画の天才、プロの詐欺師、スリの名人、爆破の達人、……、石野卓球!その道では誰にも負けない腕を持つ1億3000万人のプロフェッショナル!彼らが手を組めば盗み出せないものはない!それが、史上最強の犯罪ドリームチーム『オーシャンズ』だ!今度の舞台は因縁の地ラスベガス…を含むなんとアメリカ合衆国ぜんぶぅ!これではまるで戦争だぁ!ハリウッドの俳優全員に総動員をかけてもまだまだ飽き足らず、EU、日本、インド、中国、韓国等から名俳優が続々と集結!ある者は軍艦で、ある者は戦闘機で、ある者はメキシコからの集団徒歩で国境を越えて、総勢1億3000万人の名優たちが所狭しと全米で暴れまくるぜぇっ!!!」

「で、悩みは?」

「いやあ、これがけっこう深刻でしてね……。『オーシャンズ130000000』の上映後に、おそらく、こういった反応がお客様から、もちあがると思うのですよ。『ブラッド・ピットが豆粒みたいでした』『本当にジョージ・クルーニーは出演していたのですか?』『最後のスタッフロールが5時間も続くのがちょっと……本編よりも長すぎます』ってね……」

もしかしたら、フランス人はふるえているぼくの気を紛らわせるために、わざと、こんな冗談を言ってくれたのかもしれない(というのは考えすぎで、本当に、本気で悩んでいたのかもしれないが)。
でもおかげで、ほんのちょっとの時間だけれど、ぼくは、死の恐怖から逃れることができた。ちょっとだけ、笑うことができた。

飛行機は、相変わらずどこへ向かっているのかも分からなかった。
機内は寒くなる一方だ。
ひざの上のア・プリオリを温かく感じる。
息はちょっとだけ苦しいが、酸素マスクをするほどでもないと思い、そのまま呼吸していた。



いま、前の方から、中国語っぽい叫び声があがった。
見ると、どうやらハイジャック犯らしい男達が、数名、通路にいる。
はるか前の方で、なにやら騒がしく動き回っている。

犯人の要求は、ちゃんと通っているのだろうか?
交渉は、進んでいるのだろうか?

フランス人が不安そうな顔で、テロリストは何人いる?と聞いてきた。ぼくは4、5人はいる、と答えた。(それはちょっと多いな……、1人なら、ぎゅむって、ひねりつぶしてしまえるのに……)とフランス人は独り言のように下を向いてつぶやいた。

機内放送はあれ以来、なにもない。
さっき試しに一瞬だけ携帯電話の電源を入れてみたが、当然のように圏外だった。
ほかの乗客もみな静かに座っている。もしかしたら遺書なんかを書いているのかもしれない。ぼくも、遺書を書くべきなのだろうか。でも、だれに宛てて?

「サクライくん」
「はい」
「人は、好きかね?」
「え?」
「人間を、愛しているかね?」
「……」
「わたしは人間が嫌いでね。みんな自分のことしか、考えていないからね。まあわたしも含めてだがね」フランス人はこっちを向いて微笑んだ。「わたしのパパは戦争で死んだんだよ。ベトナムのディエンビエンフーでね。フランス敗北。意識不明になってね。血液が足りなかったらしい。トゥールーズに空輸されたときには既に植物人間になっていた。パパは何も話せなかった。まるで反応なしさ」

フランス人は、目の前にある、座席の背もたれについている白いテーブルを、じっと見ていた。ぼくに向けて話している、といよりも、自分自身に向けて話しているみたいだった。

「ママは幼い頃に出て行ったきりでね、わたしにはパパしかいなかった。一人っ子だった。あれは授業中だった。先生が、すぐに家に帰って病院に向かいなさい、と言った。わたしは父方のおばさんといっしょに病院に向かった。何を考えたらいいのか分からなかった。神様もでてこなかった。パパは怪我をしたのよ、とおばさんが言った。病室にはパパがいた。パパは信じられないくらいにたくさんの「くだ」に繋がれてまるで「まゆ」みたいになって眠っていた」

いきなり、機体の左側が大きく下がった。世界が左へ向かってあっというまに落ちていく。直後、今度は右側が下がった。いっきに右へすべり落ちる。そしてまた、左側がすとんっと落ちた。世界は、左へ、右へ、極度に大きく揺れながら、落下していった。ぼくの「脳みそ」も、揺らされたバスケットのなかの「たまねぎ」みたいに、ぐわんぐわんと転がりつづけた。吐き気がした。目をつむる。となりから(グォヴェェェ)というあの人の声がする。ア・プリオリを落とさないように必死になって抱えつづけた。世界がこのままバラバラになってしまうんじゃないかと思った。



飛行機は、激しい蛇行をしばらく繰り返したあと、やっと、姿勢をもとに戻した。そして、何事もなかったように、水平飛行に戻った。フランス人は(ジェットコースターは、本当に、苦手でね)と顔面をひきつらせて答えた。両手で紙袋を握りしめ、目にはうっすらと涙を浮かべていた。

フランス人は口元をぬぐいながら、かすれた声で話をつづけた。
「……サクライくんは、ベトナムには、行ったことはあるのかね?」
「ベトナムは、ないです」
「行く機会があったら、サイゴンへ行ってみるといい。東洋のパリと呼ばれていた綺麗な場所が、今でもたくさん残っているからね。暑くて、ほこりっぽくて、ちょっと臭いんだけど、みんなの笑顔が気持ちよくてね。彼らは、なんであんなに無邪気に笑うんだろうね。夕方にね、太陽が沈み、涼しくなると、屋台のおばちゃんが生春巻きを売りにくるんだよ。エビやら、野菜やらを、たくさんね、みずみずしいライスペーパーで巻いてあって。それが、美味しくて、美味しくて。そればかり、ずっと食べいたよ」

フランス人は(美味しかったなぁ)と言いながら、子供みたいに笑った。思いっきり吐いた直後なのに、よく食べ物の話ができるなぁと、ちょっとだけ感心した。(ここから、また話は長くなるけど、いいかね?)と聞かれたので、ぼくは、はい、と答えた。話を聞いている間は、寒さや不安がまぎれたし、それに、ぼくが「ノン」と言ったところで、彼は話をつづけただろう。

「この歳になって、初めてパパが戦った場所に、行ってみたんだよ。
第06話「かなしさを、かくすには、」  2007.02.24

「宇宙、接近」 (かなしさを、かくすには、(2))

CoM0 TrB0
ぼくらを乗せたB−777は、車輪を出し、今まさに成田空港に着陸しようとしていた。
と、そのとき。

飛行機の機首がいきなり上を向いた。機体がほぼ垂直になる。そして天空めがけてすごい勢いで加速していった。全体重が背中にかかる。「ヴァアァァヴァヴァヴァ」と叫んだつもりだったが声にならない。ものすごいGがお腹にかかり、のどをつぶし、頭の中の血液がなくなって貧血みたいになった。(ヴァァヴァヴァァァァ!)

飛行機は、まるで宇宙が目的地であるみたいに、どんどん加速し上昇し、機体はガタガタと揺れつづけ、雲を抜け、耳がヒィーーンッとなり、エンジン音が遠のき、空が濃いブルー色にかわり、地球の輪郭が丸く見えはじめ(おいおい本気で宇宙かよ)と思ったあたりで、やっと、水平飛行に、通常の飛行にもどった。
そして、酸素マスクが一斉にばぁっと下りてきた。

この間、1分のようにも感じたし、実際は20分だったのかもしれない。とにかくぼくらを乗せた飛行機は、気がつくと宇宙と地球のあいだを飛行していた。



「サ、サ、サクライくん」と隣のフランス人が苦笑いしている。太った顔に汗をだらだら流しながら。「わたしは、ジェットコースターという乗り物が、とても苦手でね、いや、本気で失禁するんじゃないかと、思いましたよ」見ると股間のあたりがちょっと濡れているが、おそらくこれは紙コップのなかのウーロン茶がちょっとこぼれたのであろう。ということにしておいた。

「それにしても、どうしたのかね? 外を見たところ、絶対臨界高度、のような気がするがね」
「絶対臨海高度?」
「ご存じない? 旅客機の高度には、低高度、通常高度、高高度、高高高度、絶対臨界高度、の五種類があって、絶対臨界高度は、要するに通常の旅客機で飛行できる高度の、最上限だよ。ほら、耳鳴りが止まないし、なんだか肌寒いし、空気も変だろ?」たしかに、耳の中がキヒィーーンっと鳴りっぱなしで、やけに、寒い。「そういえば、機内放送もなにも、ないね。酸素マスクも、下りてきているし。これは、明らかに異常だな」
「宇宙に墜落、したみたいですね」
「それは、面白い表現だね。宇宙に墜落か…」

そのとき、前方からかすかにパンッという音が聞こえた。紙袋をふくらませて、叩いて割ったような、音。

窓際の三列シート、窓際Aにフランス人、中間Bにぼく、通路側Cは無人で、ぼくは通路側に身を乗り出して前方をうかがってみた。ぼくらの座っている位置は、機体のほぼ最後尾だった。

「なにか、見えるか?」とフランス人。
「通路には、誰も、いないですね。乗務員も、見えないし」
機内は静かだった。ほかの乗客は、頭は見えるのだが、気絶でもしているのだろうか?
 
「ははは、飛行機がワープでもしたのかね」フランス人は笑いながら言う。「スペースシャトルかこれは? 成田の滑走路に何か落ちていて、(あ、あぶない!)って避けたにしては、ちょっと避けすぎだろ? どんだけのチキン野郎だ?」

そのとき、雑音混じりで、やっと機内放送が入った。最初、宇宙人の声かと思ってしまった。『……ザァザ………キチ…ウ…デズ…ズ…トウキ…ワハ……イジャ……サレマ………ジザザ……』

『ハイジャック』
確かにそう聞こえた。

「あっちゃー、なに、この展開?」とあきれ顔のフランス人。
「ほんっとにもうすぐそこが日本だったのにぃ」と事態がよく分からず、とりあえずのぼく。

どうやら、ぼくらを乗せた飛行機は、宇宙と地球のはざまを、ハイジャックされたまま飛行しているらしかった。ハイジャック。おいおい、生きて帰れるのか? 窓の外を見る。深く黒い青色が広がっている。地表、というよりも地球が、はるか遠くにみえる。体がふるえてきた。おそらく寒さのせいもあったのだろう。でも、「死ぬかもしれない」という言葉が、頭から消えない。
(酸素マスク、つけたほうがいいのかな?)

そのときまた一つ、パンッと、前方から紙袋を割る音がした。




第06話「かなしさを、かくすには、」  2007.02.19

かなしさを かくすには、

CoM0 TrB0
がらっがらっと扉をしめて、彼女はでていった。
そとからは、セミの鳴き声しか聞こえてこない。
「終わりの会」が終わったら、すぐプールに行けると思っていたのに。
ジーーーッジジーッ。ジッジーーッ。



「あ、そうや、今日は登校日やけど、当番は残って、学級日誌かいてってや」

ばさっと、ぼくの机のうえに学級日誌が置かれた。

「せんせー、坂下も、当番ねんけどー?」
「おまえも当番やろ」
「おれ、字へたやしー」
「なら、練習せなあかんなぁ」

先生はふんっと鼻で笑って、教室をでていった。

【学級日誌に書くこと】
日付、当番の二人の名前、欠席者、時間割、先生からの連絡事項、そして、当番の一日の感想。

ぼくは坂下の方をみる。
教室に残っている同級生は、もう数人だけになっていた。
みんなは、もう、プールに向かっていた。
坂下は、席に座ったまま、ぼんやりとそとを見ていた。

「さかしたー、これー、学級日誌」

ぼくは坂下の机の上に、学級日誌を置いた。

「おれ、字へたくそやし、かくまで待っとるし、たのむわ」



坂下のえんぴつの音が教室にこりこりとなる。

坂下とは、あんまり話をしたことがない。
勉強はそこそこできるみたいだけど、体育とかはよく見学している。
顔は「ふつう」だ。
かわいいわけでもないし、ブスというわけでもない。
いつもなんかその辺にいる子、という印象だ。

(今ごろ、みんな、プールではしゃいでんのかなぁ)

草ぼーぼーの中庭と、白くてまぶしい太陽と、あのセミの鳴き声にかこまれていると、はやくプールにつかりてぇ!となってくる。

「さくらぎくん」

うしろで、坂下の声がした。ふりむくと、手に学級日誌を持っていた。思ったよりも早かった。
「かけたー?」
「つづき、かいてよ」
「え? やだよ、ぜんぶかいてよ」
「あと、ひとこと、だから」
そう言うと、坂下は自分の席にもどって、かばんを持って「じゃあ、また、九月ね」と言って、ささっと教室をでていった。


(おいおい)

いつのまにか、教室にいるのは僕だけになっていた。
学級日誌を開くと、日付、当番の名前、桜井と坂下、欠席者は金子、時間割、先生からの連絡事項3つ、は、キレイな字でかんぺきに書いてあった。

(おおー、さすが、女の子)

そして最後の、当番のその日あった一日の、感想のところ。
そこには、こう書いてあった。


****************


砂を かくすには 砂漠のなか

葉っぱを かくすには 森のなか


では

かなしさを かくすには? 



****************




(なんだこれ?)


「さかしたー?」と呼んでみたが、もちろん返事はなかった。

(かなしさを、かくすには?)


ジーーーッジッジーーッ。

ぼくは、学級日誌を職員室に持っていった。
担任の先生はいなかったが、そのまま机の上に置いて、セミの音がうるさくなりひびく「わたり廊下」を抜けて、ぼくはダッシュで学校の裏にあるプールへと向かった。







***

それから8年後。

成人式の後の、同窓会の席で。

「あれ? あんなかわいい子、いたっけ?」
「坂下だよ、あれ」
「え、まじで!?あんな変わっちゃうの!?」

ぼくは意気揚揚とビール瓶を両手に持ち、坂下のもとへと向かった。

「こんばんは、麗しき、マドモワゼェル」

坂下のまわりの「とりまき」を蹴散らして、ぼくは彼女の隣に座った。
「桜井君、その頭、どうしちゃったの!?」
「これ? 太陽の光を浴びすぎて、金髪になりました」
(まぁ、飲んで!飲んで!)

そうして、酔っぱらったぼくは、酔っぱらった坂下をおんぶして、酔っぱらいながらもホテルへと向かった。そして、いろいろ(ごにゃごにゃ)あったあと、坂下が「桜井君」とあらたまってぼくの名前を呼んだ。「なに?」とぼくは坂下を抱きながら答えた。「6年生の時、あたしが、学級日誌に書いた、あれ、覚えてる? 夏休みの、登校日に」「あー、はいはい、覚えてるよ、なぞなぞみたいなやつでしょ?」「そう。桜井君なら、答えてくれると思ったのに。あれ以来、ぜんぜん、無視じゃない」「違いますー、ほんとは分かってたんだけど、こっぱずかしいから、書けなかったんですー」「じゃあ、なに? 答えは?」「そのまえに、もう一回だけ、問題、言ってもらっていい?」「……。いいよ。……。砂を、かくすには、砂漠のなか。葉っぱを、かくすには、森のなか。では、かなしさを、かくすには?」「それはね、






***

かっはぁーーっ!

と、ここまで隣のフランス人に思い出話を語っていて、ぼくは恥ずかしくなり、突然叫んでしまった。

フランス人「ブテトルージュガルソンサセ?」
しろぱんだ「ノン」
フランス人「イルフェヴォ?」
しろぱんだ「ノン」
フランス人「ケルセテュードゥコントンタルージュオッマルクートゥドラキャルソン?」
しろぱんだ「ノン」
客室乗務員『当機は間もなく着陸態勢に入ります。ベルトの着用をもう一度ご確認くださいませ』

フランス人「それできみはその『かなしさを、かくすには、』になんと答えたのかね?」

ぼくは顔を赤くして答えた。



『ことばの なか』




フランス人「かっはぁぁぁーーーーーーーっ!!」

ぼくらを乗せたB−777は、車輪を出し、今まさに成田空港に着陸しようとしていた。

と、そのとき。
第06話「かなしさを、かくすには、」  2007.02.16

Profile

桜井白パンダ

Author:桜井白パンダ
「     」

Recent entries

Categories

Archives

Link