「この歳になって、初めてパパが戦った場所に、行ってみたんだよ。ずっと行きたくてね。そこはものすごい山奥だった。道も舗装されていなかった。朝から車をとばして、昼過ぎまでかかった。爆撃の跡がまだあちこちに残っていてね。その基地のあった場所は、ただの畑になっていた。もしかしたら間違えたのかもしれない。でも、ツーリストが言ったんだ「ここが、ディエンビエンフーです。仏蘭西軍の、最後の砦でした」ってね。そこは広々とした畑だった。直射日光がすごくてね。見たこともない巨大なハエが、ブンブンと何匹も飛んでいた。風が吹くたびに、牛の糞のようなにおいが鼻の奥にこびりつくんだよ。畑には、背の低い老人が一人いた。彼は地面の上に座って、小さなスコップみたいなもので、土を掘り起こしていた。黙々と一生懸命で。我々に気がついていないみたいだった。なにをしているんですか? とわたしは聞いた。わたしには農業の経験が無いからね。老人は下を向いたまま答えた「娘を探しています」と。もしかしたら誤訳かもしれない。通訳がいまいちだったからね。でもわたしは言った「娘さんは見つかりそうですか」と。「ずっと掘っている」と老人が言う。「わたしは40年近く、夏休みと冬休み以外は、ここで土を掘っている。20年前、やっと娘の胴体がみつかった。わたしは泣いた。1年前、やっと娘の下半身がみつかった。わたしは泣いた。そして今、ああ、娘の、頭が、ああ、やっと、みつかったよ」それはジャガイモだった。老人は土の中からジャガイモを掘りだしていた。ジャガイモを愛しそうに撫でながら泣いていた。声を押し殺して。わたしは思わず「おじいさん、それはジャガイモですよ」と言ってしまった。でも通訳は首をふった。それは訳せない、と」
「この話は以上だ。べつに教訓のようなものは何も無い。わたしはただそのエピソードが印象深かったから、きみに話したかっただけだ。以上だ。人というのは、特異な体験からなにか教訓めいたものをすぐに引き出そうとするが、そんなとってつけたような要約から、何が得られる? 「人生とは悲しいものだ」ふざけるな、とわたしは言いたい。「結局、死ぬために、生きているのだ」、「泣きながら生まれてきて、泣きながら死ぬのだ」、ふざけるな。そんな短い言葉で人生をまとめて、悟ったような気になって、いったい何になる? 本当の死のふちで人は何と言って死ぬか、分かるか? わたしのパパは真夏にエアコンもない熱湯みたいな部屋で、「ジフロ」と言って死んだんだ。「ジフロ」だ。教訓もなにもあったもんじゃない。それまでぴくりとも動かなかった肉の塊の、最後の言葉が「ジフロ」だ。ジフロ、ジフロ、ジフロ。くそ暑い部屋で、白いシャツと白いパンツ一枚で、パパは凍えながら死んでいったんだ。くそったれ。この話は以上だ。わたしもいま猛烈に「ジフロ」だ。バカみたいな話じゃないか。死ぬ間際にパパと同じ言葉を繰り返して死んでいくなんて」
「すまん。ジフロなのに熱くなった。というか、ジフロであればこそ熱くなってみた、と言い換えるべきか」「……」
ぼくはふるえながら、ただ黙って目の前にある黒いネットのあたりを見ていた。吐く息が白くなりはじめている。エアコンが故障したのかもしれない。フランス人はため息を一つついて、窓の外に目をやった。「……おそらく、この飛行機は、北に向かっているね。かすかに、雲の切れ間に、朝鮮半島のようなものが、見える。……ああ、窓の外を見てみなさい」ぼくは体をひねって外を見た。戦闘機がいた。「JSDFだ」とフランス人が言った。「日本にしては、めずらしく動きが早いね。コマツから来たのかな?」太陽のマークを持つ2機の戦闘機が、ぴったりと隣につけていた。助けに来てくれたのかな? 「この飛行機を、ミサイルで打ち落とすつもりかもね」えっ? と、ぼくは低い声で驚いた。フランス人は外を見たまま、淡々と話をつづける。「このまま、この飛行機が北に向かったら、どうなると思う?」ぼくは首を横にふる。「わたしが北の首領ならこう言うね、『対象機の領空侵犯は、北に対するテロ行為である可能性が否定できないため、やむを得ず、撃墜する』と。あるいは、わざと都市に墜落させて、テロ行為であると凶弾し局地的に報復を行う、とか」。「まあ、どっちにしても、いま思いついた話で、可能性は低いだろうけどね。おそらくなにか、身代金目的か、亡命要求か、超法規的措置による誰かの釈放要求だろうとは思う。でも」
フランス人は窓の外を見たまま動かない。「でも、敵対関係にある飛行機が、自分の領空に突っ込んできたら、サクライくんならどうする? その飛行機は、もしかしたら核兵器をつんでいるかもしれない。全面戦争の前の「おとり」かもしれない。東京から絶対臨界高度を一直線に飛んでくるなんて、まるで、何か、ミサイルみたいじゃないかね? 相手に打ち落とされても文句は言えないし、場合によっては、日本政府の手で、問題になる前に葬られてしまうかもしれないね……」
***
雪はやまなかった。世界は小さなビンの底に沈んだみたいに、静かだった。見慣れていた平野は白におおわれ、風もなく、木々やその葉はひっそりとたたずんでいた。綿毛のような雪だけが、音もなく降りつづけていた。
友達が、桜井、戻ろう、とぼくを呼ぶ。ああ、とだけ返事をしたが動かなかった。唇や鼻に雪がふれ、しばらくとどまったあと、ながれた。
言葉の中、とぼくが言ったとき、坂下は笑った。「そんなわけ、ないじゃない」と。ぼくも恥ずかしくて一緒になって笑った。笑った後、ぼくは坂下を抱いた。彼女は目を閉じて、かすかに声をだした。それはとても小さくて、切なくて、なにかをたしかめながら泣いているみたいだった。
かなしさを、かくすには、
その答えがなんだったのかは、ぼくは最後まで知ることはなかった。坂下は、誕生日の前日に、世界から消えた。まだ19歳だった。みんなが坂下を覗きこんでいる姿を見て、ぼくは吐き気をおぼえた。
***
飛行機は徐々に高度を落としていく。朝鮮半島がはっきりと左手に見える。おそらくここはもう韓国の領内だろう。飛行機は、減速する気配すらみせない。韓国に着陸するのであれば、そろそろ左手に弧を描かないと、間に合わないんじゃないだろうか? 備え付けの機内誌を見る。後ろのページに世界地図が載っている。だいたい朝鮮半島の真ん中が、38度線だ。北との境界。自衛隊の戦闘機も、いつのまにか見えなくなっていた。このままだと、北の領空に入るのは、もうほとんど避けられそうにない感じがした。
「覚悟を決めようかね、サクライくん」とフランス人が言った。表情は冷静だった。本当に覚悟を決めたのだろうか。それとも「それともどうする? コックピットの方に行って、テロリストと戦うか? まぁこれはハリウッド映画じゃないからね、ものの数秒で殺られてしまうだろうがね。でも、なんとか北に入る前に「かた」をつけたいねえ」
飛行機のエンジン音が強くなった気がした。外を見る。半島の集落がはっきりと確認できる距離にまで近づいている。飛行機は一つの意志をもった塊のように、迷わず一直線に北上していく―――と、そのとき。フランス人がぼくの方へ向きなおり、真剣なまなざしで言った。
「こうなったら最後の手段だ、サクライくん」
「どうするんですか?」
「パンダに、変身するんだよ」
第06話「かなしさを、かくすには、」
2007.02.27「この話は以上だ。べつに教訓のようなものは何も無い。わたしはただそのエピソードが印象深かったから、きみに話したかっただけだ。以上だ。人というのは、特異な体験からなにか教訓めいたものをすぐに引き出そうとするが、そんなとってつけたような要約から、何が得られる? 「人生とは悲しいものだ」ふざけるな、とわたしは言いたい。「結局、死ぬために、生きているのだ」、「泣きながら生まれてきて、泣きながら死ぬのだ」、ふざけるな。そんな短い言葉で人生をまとめて、悟ったような気になって、いったい何になる? 本当の死のふちで人は何と言って死ぬか、分かるか? わたしのパパは真夏にエアコンもない熱湯みたいな部屋で、「ジフロ」と言って死んだんだ。「ジフロ」だ。教訓もなにもあったもんじゃない。それまでぴくりとも動かなかった肉の塊の、最後の言葉が「ジフロ」だ。ジフロ、ジフロ、ジフロ。くそ暑い部屋で、白いシャツと白いパンツ一枚で、パパは凍えながら死んでいったんだ。くそったれ。この話は以上だ。わたしもいま猛烈に「ジフロ」だ。バカみたいな話じゃないか。死ぬ間際にパパと同じ言葉を繰り返して死んでいくなんて」
「すまん。ジフロなのに熱くなった。というか、ジフロであればこそ熱くなってみた、と言い換えるべきか」「……」
ぼくはふるえながら、ただ黙って目の前にある黒いネットのあたりを見ていた。吐く息が白くなりはじめている。エアコンが故障したのかもしれない。フランス人はため息を一つついて、窓の外に目をやった。「……おそらく、この飛行機は、北に向かっているね。かすかに、雲の切れ間に、朝鮮半島のようなものが、見える。……ああ、窓の外を見てみなさい」ぼくは体をひねって外を見た。戦闘機がいた。「JSDFだ」とフランス人が言った。「日本にしては、めずらしく動きが早いね。コマツから来たのかな?」太陽のマークを持つ2機の戦闘機が、ぴったりと隣につけていた。助けに来てくれたのかな? 「この飛行機を、ミサイルで打ち落とすつもりかもね」えっ? と、ぼくは低い声で驚いた。フランス人は外を見たまま、淡々と話をつづける。「このまま、この飛行機が北に向かったら、どうなると思う?」ぼくは首を横にふる。「わたしが北の首領ならこう言うね、『対象機の領空侵犯は、北に対するテロ行為である可能性が否定できないため、やむを得ず、撃墜する』と。あるいは、わざと都市に墜落させて、テロ行為であると凶弾し局地的に報復を行う、とか」。「まあ、どっちにしても、いま思いついた話で、可能性は低いだろうけどね。おそらくなにか、身代金目的か、亡命要求か、超法規的措置による誰かの釈放要求だろうとは思う。でも」
フランス人は窓の外を見たまま動かない。「でも、敵対関係にある飛行機が、自分の領空に突っ込んできたら、サクライくんならどうする? その飛行機は、もしかしたら核兵器をつんでいるかもしれない。全面戦争の前の「おとり」かもしれない。東京から絶対臨界高度を一直線に飛んでくるなんて、まるで、何か、ミサイルみたいじゃないかね? 相手に打ち落とされても文句は言えないし、場合によっては、日本政府の手で、問題になる前に葬られてしまうかもしれないね……」
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雪はやまなかった。世界は小さなビンの底に沈んだみたいに、静かだった。見慣れていた平野は白におおわれ、風もなく、木々やその葉はひっそりとたたずんでいた。綿毛のような雪だけが、音もなく降りつづけていた。
友達が、桜井、戻ろう、とぼくを呼ぶ。ああ、とだけ返事をしたが動かなかった。唇や鼻に雪がふれ、しばらくとどまったあと、ながれた。
言葉の中、とぼくが言ったとき、坂下は笑った。「そんなわけ、ないじゃない」と。ぼくも恥ずかしくて一緒になって笑った。笑った後、ぼくは坂下を抱いた。彼女は目を閉じて、かすかに声をだした。それはとても小さくて、切なくて、なにかをたしかめながら泣いているみたいだった。
かなしさを、かくすには、
その答えがなんだったのかは、ぼくは最後まで知ることはなかった。坂下は、誕生日の前日に、世界から消えた。まだ19歳だった。みんなが坂下を覗きこんでいる姿を見て、ぼくは吐き気をおぼえた。
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飛行機は徐々に高度を落としていく。朝鮮半島がはっきりと左手に見える。おそらくここはもう韓国の領内だろう。飛行機は、減速する気配すらみせない。韓国に着陸するのであれば、そろそろ左手に弧を描かないと、間に合わないんじゃないだろうか? 備え付けの機内誌を見る。後ろのページに世界地図が載っている。だいたい朝鮮半島の真ん中が、38度線だ。北との境界。自衛隊の戦闘機も、いつのまにか見えなくなっていた。このままだと、北の領空に入るのは、もうほとんど避けられそうにない感じがした。
「覚悟を決めようかね、サクライくん」とフランス人が言った。表情は冷静だった。本当に覚悟を決めたのだろうか。それとも「それともどうする? コックピットの方に行って、テロリストと戦うか? まぁこれはハリウッド映画じゃないからね、ものの数秒で殺られてしまうだろうがね。でも、なんとか北に入る前に「かた」をつけたいねえ」
飛行機のエンジン音が強くなった気がした。外を見る。半島の集落がはっきりと確認できる距離にまで近づいている。飛行機は一つの意志をもった塊のように、迷わず一直線に北上していく―――と、そのとき。フランス人がぼくの方へ向きなおり、真剣なまなざしで言った。
「こうなったら最後の手段だ、サクライくん」
「どうするんですか?」
「パンダに、変身するんだよ」